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東京高等裁判所 昭和31年(ネ)627号 判決

控訴人 国

訴訟代理人 朝山崇 外一名

被控訴人 坂本幹平 外一名

主文

原判決中控訴人敗訴の部分を取消す。

被控訴人等の請求はいずれもこれを棄却する。

訴訟費用第一、二審ともは被控訴人等の負担とする。

事実

控訴人指定代理人は主文同旨の判決を求め、被控訴人等訴訟代理人は本件控訴棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張並に証拠の提出、援用及認否は以下に附加訂正するものを除く外原判決事実摘示の通りであるから、ここにこれを引用する。

(事実関係)

被控訴人等訴訟代理人は

一、 被控訴人坂本は昭和二十一年七月十日朝鮮平安北道博川郡博川面において同地居留日本人会に対し同地在住日本人及満州から同郡内に避難して来た日本人の引揚援護資金として日本銀行券五万円及朝鮮銀行券二万二千円を内地へ帰還後遅滞なく政府をして同額の円貨を以て返済せしめる約定の下に利息の定なく貸与した。

二、 被控訴人野崎は昭和二十年十一月二十三日朝鮮新義州において同地日本人世話会に対し同地在住日本人の引揚援護資金として朝鮮銀行券五万円を前項と同旨の約定で貸与した。

三、 被控訴人坂本の前記貸付金債権に付ては外務大臣が昭和二十六年七月四日附在外公館等借入金確認証書を、または被控訴人野崎の前記貸付金債権に付ては外務大臣が昭和二十五年十二月十六日附在外公館等借入金確認証書を夫々被控訴人等に発給し、国にその支払の義務があることを確認した。

四、 終戦後朝鮮各地において生命身体の危険に曝され、生活に困窮した在留日本人の為にその安全を図り、引揚までの生活を保障し、無事引揚を実施することは国の処理すべき事務であるところ、当時朝鮮と内地との連絡は断たれ、政府の行政権は朝鮮に及ばなくなつた為国は右引揚援護の事務を自ら処理することができなかつた。よつて国は終線直後の頃朝鮮総督附を通じ朝鮮各地の日本人在留者によつて結成された前記博川居留日本人協会及新義州日本人世話会を含む日本人居留民団体に対し右在留日本人の引掲援護事務を国に代つて処理すべきことを委託し、居留民団体はこの委託に基いて在留日本人の引揚援護の事務を処理した。仮に右委託の事実が認められないとしても、これら居留民団体は本来国が処理すべき引揚援護の事務を国の為に管理したものである。前記博川居留日本人会及新義州日本人世話会が被控訴人に対し負担した借入金債務はいづれもこれらの団体が委託を受けた事務の処理をする為に必要な債務であるか、又は国の為に管理を始めた事務を処理する為に必要な債務であつたのであるから、国は民法中委任又は事務管理に関する規定によつて、被控訴人等に対し直接前記居留民団体の借入金を返済すべき義務があり、国は前記確認証書の発給によつてこの義務があることを承認したものである。

仮に右委任又は事務管理に基く国の義務が認められないとしても、国は被控訴人等に対し前記確認証書を発給することによつて前記居留民団体の被控訴人等に対する借入金債務について免責的に債務の引受をしたものである。

五、 前項記載の通りの理由によつて国は本件借入金に付て被控訴人等に対しこれが返済の義務を負つているのであるから、国は債務の本旨に従つて、これを履行すべく、財政上等の理由から一方的に債務を減額する等債務の内容に変更を加えることは許されない。在外公館等借入金の返済の実施に関する法律(昭和二十七年法律第四十四号)第四条及同法別表の定は国が国民に対して負担もる金銭債務を不当に減額しようとするものであつて、憲法第二十九条第一項の規定に違反するもので本件借入金についてはこれを適用すべきものではない。

六、 被控訴人等が前記居留民団体に貸付けた朝鮮銀行券は朝鮮銀行法(明治四十四年法律第四十八号)により発行された日本国通貨の一種であつて、終戦の前後を通じ円と等価であつたのであるから、国は被控訴人坂本に対しては借入金と同額の金七万二干円、また被控訴人野崎に対しては同じく金五万円の支払義務があるところ、国は夫々本件借入金について前記在外公館等借入金の返済の実施に関する法律による返済金として被控訴人坂本に対しては昭和二十七年七月十四日金五万円を、また被控人野崎に対しては同年六月二十五日金二万九千九百九十七円を支払つたに止まり、残額の弁済をしない。而して本件借入金に付ては遅くとも右各一部弁済が為された日までに履行期が到来していたのであるから、控訴人に対し、被控訴人坂本は残額金二万二千円及これに対する履行期の後である昭和二十七年七月十五日以降右完済に至るまでの年五分の割合による遅延損害金の、また被控訴人野崎は残額金二万三円及これに対する履行期の後である同年六月二十六日以降右完済に至るまでの右と同一割合による遅延損害金の支払を求める。

と陳述し、控訴人指定代理人は

一、 被控訴人等が夫々その主張のような資金に当てる為その主張の居留民団体に対しその主張の金員(但し被控訴人坂本が貸付けたのは全額朝鮮銀行券である)を貸付けたこと、外務大臣が被控訴人等主張の在外公館等借入金確認証書を夫々被控訴人等に発給したこと、終戦と共に朝鮮と内地との連絡が断たれ、政府の行政権が朝鮮に及ばなくなつた為国が朝鮮在留の日本人の保護に直接当ることができなかつたこと、朝鮮銀行券が被控訴人等主張の通りの日本国通貨であつて終戦までは円と等価であつたこと、国が被控訴人等に対し本件借入金に関して夫々被控訴人等主張の通りの支払をしたこと並に本件借入金に関する国の債務の返済期が夫々被控訴人等主張の日まで到来していたことはこれを認めるが、その余の被控訴人等主張の事実は否認する。

二、 国と終戦後朝鮮各地に結成された在留日本人団体との間に被控訴人等主張のような委任関係が生じた事実のないことは固より、これらの団体が処理した被控訴人等主張のような引揚援護の義務は在留日本人の為に為されたものであつて、受益者はこれらの在留日本人であり、国と右在留日本人団体との間に被控訴人等が主張するような事務管理の関係が生ずる余地はない。

三、 本件借入金に関しては国には当然その返済の義務があるわけではなく、在外公館等借入金整理準備審査会法(昭和二十四年法律第百三十七号)第一条に規定する他の同種の借入金についてと同様、同法の定める確認の手続が行われることによつて初めて法律の定めるところに従い且予算の範囲内において返済せらるべき国の債務が、成立したものである。而して右債務の返済については在外公館等借入金の返済の実施に関する法律(昭和二十七年法律第四十四号)の定めるところに従うべきものであるところ、国はすでに本件借入金に関し右法律の定めるところにより返済を終つている。右法律中第四条及別表の定が憲法第二十九条の規定に違反するとの被控訴人等の主張はそれ自体その理由がないばかりでなく、その前提要件を欠くものである。

と陳述した。

(証拠関係)〈省略〉

理由

被控訴人坂本が昭和二十一年七月十日朝鮮平安北道博川郡博川面において同地居留日本人会に対し同地在住日本人及満州から同郡内に避難して来た日本人の引揚援護資金として金七万二千円(その全額が朝鮮銀行券であつたか又はその内金五万円が日本銀行券であつたかどうかは暫く措く)を貸付けたこと及被控訴人野崎が昭和二十年十一月二十三日朝鮮新義州において同地日本人世話会に対し同地在住日本人の引揚援護資金としで朝鮮銀行券五万円を貸付けたことは当事者間に争のないところである。

被控訴人等は控訴人が終戦時朝鮮各地に結成された右博川居留日本人会及新義州日本人世話会を含む在留邦人自治団体に対し朝鮮総督府を通じて在留邦人の引揚援護事務若くはこの事務と共にこの事務の遂行に必要な資金の借入を委託し、博川居留日本人会及新義州日本人世話会は右委託により被控訴人等から前記の借入をしたものである旨又は仮に然らずとしても控訴人は右博川居留日本人会及新義州日本人世話会を含む朝鮮各地の在留邦人自治団体の借入金に付貸主が帰国の際直接借入金を返済すべきことを承諾し、これによつて自ら直接に債務を負担する意思を表示し(若くは在留邦人自治団体の借入行為を自己の為にしたものとして追認した旨主張するけれども、被控訴人等の提出援用にかかる総ての証拠を以てしても右主張を肯定することは困難である。

尤も朝鮮総督府が昭和二十四年八月二十四日朝鮮における在留邦人間の連絡協調を図り、内地帰還を容易にする為在留邦人の自治体を結成させるよう各通知事に宛てて通牒を発したのでこれを受けた道知事が管下の主要地に自治団体の結成を勧告し、前記博川居留日本人会及新義州日本人会も右勧告に基き結成されたこと及米国軍の朝鮮進駐後総督府の機能が停止し、各地に結成された在留邦人自治団体が事実上総督府の代行機関として在留邦人の引揚援護の事務に当つたことは当事者間に争がなく、また〈証拠省略〉並に本件口頭弁論の全趣旨を総合すれば、終戦後間もなく朝鮮総督府の承認と援助の下に当時の京城において朝鮮在留日本人の保護、なかんづく北朝鮮地域からの日本人避難者の収容と衣食の世話、在留日本人の引揚促進等を目的として京城日本人世話会が結成され、穂積真六郎がその会長に推されたのであるが、右世話会の事業を遂行する為には多額の費用を必要とするところから、同人は当時北朝鮮在留日本人救出の為ソ連軍当局との交渉の目的で京城に来ていた外務省大使館参事官亀山一二に対し資金の送金について外務省への伝書方を依頼したこと(右亀山が穂積に対し被控訴人等が主張するように外務省において五百万円を支出し、これを朝鮮又は満州の引揚事業と難民救済に当てる計画があり、その資金の準備も出来ている旨告げたというような事実はない)、また昭和二十年十二月初旬内地に帰還した朝鮮総督府鉱工局長塩田正洪は穂積の依頼に基き同じく朝鮮総督府財務局長であつた水田直昌等と共に前記世話会の事業遂行に必要な資金の送金方に付て知人である外務省管理局在外邦人部長矢野征紀に対し陳情を重ねたところ、昭和二十一年二月初頃に至り右矢野は塩田に対し昭和二十年九月七日附を以て在外公館に宛てて発せられた「在留邦人引揚経費に関する件」なる外務大臣訓電を示し、朝鮮への送金は不可能であるから右訓電の趣旨に倣い現地における借入金によつて資金の調達を図つてはどうかとの示唆をしたので(然し矢野が塩田に対し被控訴人等が主張するように借入金は貸主が帰国の際上陸地において返済される旨言明した事実はない)、塩田は現地における借入金は後日政府によつて返済される可能性があるとしてこの旨を京城日本人世話会に通知し、同世話会においても密使を北朝鮮地域に潜入させ、同様の趣旨を前記博川居留日本人会及新義州世話会を含む各地の在留邦人自治団体に伝達し、右博川居留日本人会においても後日政府によつて返済が為されるであろうとの期待の下に被控訴人坂本及その他の在留邦人から借入金の提供を受けたこと、然しながら新義州日本人世話会の被控訴人野崎からの本件借入金については冒頭において認定した通りこれより先既に昭和二十年十一月中にその借入が行われているのであつて、当時の新義州日本人世話会においては借入金に付政府からの返済を期待し得るような状況にはなく、従つて内地帰還後政府から返還をして貰うように同世話会において努力するとの趣旨の下に右の借入が為されたものであること、而して被控訴人等及その他の者からの借入金は生活困窮者の救助、病人の医療費、南朝鮮へ脱出する為の工作費等在留日本人の保護救済の為に使用されたこと、およそ以上の事実を認めることができる。〈証拠省略〉中右認定に抵触する部分は当裁判所の措信しないところであつて、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

右に認定した事実関係の下においては被控訴人等が後日日本政府から返済をうけることができるであろうとの期待の下に夫々博川居留日本人会又は新義州日本人世話会に対し本件の貸付をしたものであることはこれを窺うに難くないが、更に進んで右認定の事実関係から被控訴人等が主張するような控訴人と博川居留日本入会又は新義州日本人世話会との間における委任関係の成立又は控訴人による本件借入金についての債務負担の意思表示ないし追認等の事実を推論することは到底不可能と謂わなければならない。従つて右委任関係の成立等を根拠とする被控訴人等の請求はその理由がない。

次に被控訴人等は博川居留日本人会又は新義州日本人世話会は本来控訴人が処理すべき朝鮮在留日本人の引揚援護事務を国の為に管理し、被控訴人等からの本件借入金債務も右事務を処理する為に負担した必要な債務であるとして民法中事務管理の規定により控訴人に本件借入金の返還義務がある旨主張する。なるほど国はその国民の生命、身体及財産を保護し、その生活の安全を保障する責任があり、国家存立の目的も窮極においてはここに在るとも謂うことができるのであるが、国の右責任は政治上の責任であつて、国は一般的にはその行う立法、司法及行政の作用を通じて責任を果しているのである。即ち民法中事務管理の規定に則して言うならば国民がその生命、身体及財産を護ることは当の国民自らが管理すべき自己の事務であり、国民はこの事務を管理するに当り国が設けた行政上及司法上の各種制度ないし施設を利用することができるに止るのであつて、例えば国民のなかのある特定の個人又はその集団が災害その他の事由によつてその生命、身体又は財産に対する危険に曝されたというようなことがあつても、そのことから直ちに法律上国が直接何等かの救済措置を講ずべき責任が発生するという筋合のものではない。従つてある個人の生命、身体又は財産に対する急迫した危険を免れさせる為に有益な費用を支出した者があれば、その費用の償還の義務を負う者は危険を免れることができた当の本人であつて、国民の生命、身体及財産を保護することが国の事務であるとして国に右費用の償還義務があるとすることはできないのである。以上の理は終戦時における朝鮮等外地在留の日本国民についても同様であつて、自己の生命、身体及財産の安全を護つて帰国に至るまでの目己の生活を維持し、早期引揚の実現に努力をすることは各自目らが処理すべき自己の事務であると謂わなければない。若し然らずして被控訴人等が主張するように民法中事務管理に関する規定の適用に関しては外地在留日本国民の引揚援護が国の処理すべき事務であると解すべきものとするならば、外地在留日本国民のうち帰国に至るまでの間における自己の生活維持の為に必要な費用を自己資金を以て賄つた者は国に対してその費用の償還を請求し得べく、また自己の生活維持の為に必要な費用を他の者からの借入金を以て賄つた者は国に対し自己に代つて右借入金の返済を為すべきことを請求し得べきこととなるわけであるが、このような結論の不当であることは言わずして明かであろう。してみれば事務管理の規定を根拠とする被控訴人等の請求もまたその理由がない。

被控訴人等は更に外務大臣が夫々被控訴人等に対し在外公館等借入金整理準備審査会法による在外公館等借入金確認証書を発給することによつて控訴人は博川居留日本人会又は新義州日本人世話会の被控訴人等に対する本件借入金債務に付て免責的に債務の引受をしたものであると主張するところ、外務大臣が被控訴人等に対し夫々その主張の通りの在外公館等借入金確認証書を発給したことは当事者間に争のないところである。然しながら右法律に謂う借入金の確認は同法第一条第二項の規定の明文によつて明かなように、政府が現地通貨で表示された借入金を別に法律の定めるところに従い、且予算の範囲内において将来返済すべき国の債務として承認することを謂うのであつて、被控訴人等が主張するように同条第一項に掲げる在外公館又は邦人自治団体若くはこれに準ずる団体が借入金の借入によつて負担した債務を引受ける趣旨ではない。被控訴人等の上記主張は右法律の規定の趣旨に副わない独自の見解であつてこれを採用すべき余地はなく、従つて右の主張を前提とする被控訴人等の憲法違反等に関する主張もすべてその前提要件を欠くものとして失当たるを免れない。

これを要するに被控訴人等からの本件借入金に関しては控訴人には当然にこれが返済を為すべき義務があるのではなく、前記法律の第一条第一項に掲げる他の同種の借入金と同様に、右法律の定める確認の手続が行われることによつて始めて法律の定めるところに従い、且予算の範囲内において返済せらるべき国の債務が発生するに至つたのである。而してかくして発生した国の債務の内容の決定及履行の方法について在外公館等借入金の返済の実施に関する法律が制定施行されたことは公知の事実であつて、控訴人が右法律の定めるところに従い被控訴人等に対し夫々その主張の金員の支払を了したことは当事者間に争のないところであるから、控訴人が本件借入金に関して被控訴人等に対し夫々負担した債務はすべて消滅するに至つたものと謂わなければならない(なお、被控訴人坂本からの本件借入金が全額朝鮮銀行券によるものか、又はその一部が日本銀行券によるものかどうかについて当事者間に争があることは先に述べた通りであるが、そのいずれであるにせよ控訴人が本件借入金に関して被控訴人坂本に対し支払うべき金額について差異を生ずるものでないことは上記在外公館等借入金の返済の実施に関する法律第四条の規定及同法別表の定によつて明かであるから、右の争点に付てはこれを確定する実益がない)。被控訴人等はなほ上記在外公館等借入金の返済の実施に関する法律第四条の規定及同法別表の定が憲法及民法の諸規定に違反する旨を主張するけれども、これらの主張はすべて被控訴人等に対する外務大臣の在外公館等借入金確認証書の発給によつて免責的債務引受が成立したことを前提とするものであつて、その前提要件を欠くものであることは先に説明した通りであるから、被控訴人等の右主張はすべて右法律の規定がその内容において立法政策上不当であることの主張に帰するものと謂うべく{当裁判所がこれを判断すべき限りではない。

以上の説明によつて明かなように被控訴人等の本訴請求はすべて失当であるから、これと異る見解の下に右請求の一部を認容した原判決は民事訴訟法第三百八十六条の規定によつてこれを取消すべく、訴訟費用の負担につき同法第八十九条、第九十三条第一項及第九十六条の規定を適用して主文の通り判決する。

(裁判官 平賀健太 鈴木醇一 石渡吉夫)

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